法話(2019年11月18日) 

 

日本の神話(神武の東征)

 

 今回は、日本の神々のことを話していきます。

 昔、海幸彦(うみさちひこ)と山幸彦(やまさちひこ)がいました。 山幸彦は、豊玉毘売命(とよたまひめ)と結婚をしました。

 豊玉毘売命が懐妊されたときに、いまいる海宮では産めないとし、地上に産屋を作りました。

 産気づき、豊玉毘売命は山幸彦に絶対に中を覗かないように言ったのですが、山幸彦は心配になり中を覗いてしまいます。 中では、豊玉毘売命が本来の姿である鰐に戻っており、出産に苦しんでいた。

 それを山幸彦に見られた豊玉毘売命は見られた恥ずかしさなどから、産まれた御子をおいて海に帰っていってしまいました。 しかし、我が子が心配になり、妹の玉依毘売(たまよりひめ)を我が子の鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)の世話をしてもらうために遣わしたのでした。

 鵜葺草葺不合命が成人すると、玉依毘売と結婚しました。

 鵜葺草葺不合命と玉依毘売との間には、四人の子供が生まれました。

 長男・五瀬命(いつせのみこと)、次男・稲氷命(いなひのみこと)、三男・御毛沼命(みけぬのみこと)、四男・神倭伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)の四人の子がいます。

 長男・五瀬命と四男・神倭伊波礼毘古命は、日向国・高千穂の宮で国を治めます。

 次男・稲氷命は、母の故郷の綿津見の国へ行きます。

 三男・御毛沼命は、常世の国へ行きます。

 日向国・高千穂を、五瀬命と神倭伊波礼毘古命が治めているのですが、ある時 神倭伊波礼毘古命が、「この日向国の地は、天下を安らかに治めるには、あまりに西に偏っていない?」と、いうことで東征の旅に出ることになりました。 豊国の宇沙(大分県・宇佐市)、筑紫の阿岐(広島県)、吉備(岡山県)、そして河内へ向かいます。 そこの登美(奈良県奈良市・富雄)の豪族・那賀須泥毘古(ながすねひこ)の軍勢が待ち受けていました。 両軍がぶつかり合い死闘が繰り広げられたのですが、戦の最中に五瀬命の腕に矢が突き刺さり、「俺は神の子孫、東に攻めてはいけなかったのだ、迂回して、太陽を背にして戦わねばだめだ。」と、いうことで、神倭伊波礼毘古命は撤退命令を出し多数の戦死者を出したが、一旦船に戻り迂回して紀の国に向かいました。

 大阪・河内寄りの紀の国・男之水門まで来たときに、五瀬命が戦での傷がもとで亡くなってしまいます。

 神倭伊波礼毘古命が後を継ぎ、そのまま進んでいき熊野に上陸します。

 熊野に上陸したまでは良かったのですが、そこで大きな熊が突然現れました。 しかし、現れたと思ったら消えてしまい、何だったのかと思っていると、皆次々と急に意識を失い倒れていきました。

 すると、一人の男が現れました。その男が剣を抜き、神倭伊波礼毘古命の身体に剣を近づけると神倭伊波礼毘古命の身体から毒気が抜け、正気に戻っていきます。 正気に戻ったところに先ほどの熊が神倭伊波礼毘古命の前に再び現れます。神倭伊波礼毘古命は助けられた男の剣をかり受け、熊の前で剣を構えました。 熊は剣を振りかざさずとも 切り倒されてしました。

 この熊は熊野山の神だということです。神倭伊波礼毘古命たちを救った、この男の人は、高倉下(たかくらじ)という。地上を見ていた天照大御神とたかぎの神が、タケミカズチノオに言って平定するように言うのですが、剣を天つ神の御子に献上するしかないということで、夢にて高倉下に伝え、剣を持って行かせた。 高倉下は神倭伊波礼毘古命に夢のこと言って聞かせ、その晩、神倭伊波礼毘古命も夢を見た。 「この土地の奥には荒々しい神々がいるので、八咫烏を送るから、その案内に従って進みなさい」という夢ひ従い、八咫烏の案内で軍を吉野の山中へ進んでいきます。

 進んでいく先々で、贄持之子(にえもつのこ)・井氷鹿(いひか)・石押分之子(いわおしわけのこ)ら有力者を、服従させていきました。 宇陀(奈良県宇陀郡)に兄宇迦斯(えうかし)・弟宇迦斯(おとうかし)の兄弟がいました。 宇陀の兄弟は自分達が立ち上がれば、周りの豪族たちも立ち上がると思っていたのですが周りの豪族たちは様子見をしているだけでした。 これではいけないと宇陀の兄弟は奸計を計ります。

 人が入り込むと天井が落下し、中の者を押しつぶすという御殿を造ったのです。 相手を和睦するということで、御殿に招き入れ押しつぶそうと計ります。 しかし、弟宇迦斯が兄宇迦斯を裏切ってしまします。

 兄宇迦斯が追い込まれ、敗れてしまいます。

 神倭伊波礼毘古命は弟宇迦斯を味方につけ進軍します。

 忍坂(おさか)(奈良県桜井市忍坂)にて、土蜘蛛(低背・手足が長く・尾があり、土に穴を掘って生活)の一団(80人ほど)が待ち構えていました。 神倭伊波礼毘古命が一計案じます。 和睦を持ち掛け、宴を開き、接待をします。 敵が酒に酔いだしてから、神倭伊波礼毘古命の歌を合図に土蜘蛛の一団を討伐していき勝利をおさめます。

 次に進軍した先で相対したのは、宿怨の敵・ナガスネヒコ(「長い髄(すね)」手足の長い野蛮人という意味)で、五瀬命の敵ということで兵の士気も高く、敵を討伐し勝利しました。

 次に進軍した先で相対したのは、兄師木(えしき)と弟師木(おしき)の兄弟でした。

 地の利を巧みに利用し頑強な抵抗をされ、神倭伊波礼毘古命の軍は食料も尽き始め、八方ふさがりとなっていきました。 そこへ、邇芸速日命(にぎはやびのみこと)が救世主の如く出現し、兄師木・弟師木らをはじめ、抵抗するものを打ち取っていき勝利を収めました。

 そして、大和を平定し、橿原(奈良県橿原市)に宮(現在の橿原神宮にあったとされる)を築き、政治をとりはじめました。  神倭伊波礼毘古命が政治を治めていくのですが、神倭伊波礼毘古命の死後、おくりなされ、神武天皇となり、初代天皇となり、畝傍山の東北に葬られました。

 という話です。 しかし、この話は史実にのっていません。

 補足として、天皇(大和朝廷)の祖先が大和地方にいたのですが、九州地方の有力な豪族たちと強いつながりがあった。と、する説と、九州のほうに住んでいたが徐々に大和地方にやってきたという説が、あります。どちらがホントかはわかりません。

 八咫烏ですが、山賊・賀茂氏(加茂神社の神宮と別家系)は、代々、朝廷の儀式の際に灯りを持って天皇を先導した「とものり」という役目でした。 その賀茂氏の氏神が八咫烏だそうです。

 神武天皇が橿原で政治を行ったのは、紀元前660年といわれています。

 そこから、10代天皇の崇神天皇(つじんてんのう)がいますが、神武天皇は実際には存在せず、10代崇神天皇から現在の天皇までが実際に存在した天皇ではないかとも言われています。

 今回は、日本神話の神武の東征のことをお話ししました。

                                 合掌