法話(2019年11月8日)

 

言うは易く行うは難し

 

 前漢・武帝の時代に編集された『塩鉄論』は塩鉄会議の記録がまとめられています。

 当時の国家が塩や鉄に高い税を課していましたが、国民の生活は圧迫されていました。有識者たちもこの塩や鉄の税制に反対していました。言うことは簡単ですが、実際に行うとなると容易なことではないのです。ここで「言うは易く行うは難し」という言葉が生まれました。

 

 8世紀、中国の杭州に鳥窠禅師(鳥窠道林)という方がおられました。この方は一本の高い松の木の上で小屋をつくり生活し、坐禅を組んでいました。

 ある日、鳥窠禅師が坐禅を組んでいると、有名な詩人である白楽天(詩人:白居易)がやってきました。(このとき、白楽天は左遷されており不安定な状態でした。近くに鳥窠禅師という有名な和尚様がいると聞いたのでみにきたのでした。)

 

  白 楽 天「老師様はそのような高い処に住まわれて危ないじゃないですか」

  鳥窠禅師「毎日の生活に追われて心が安定しないあなたの方こそ、
       よほど危険じゃありませんか」

     ※白楽天は現在の自分のありのままのことを言われたので、
      足元をすくわれた思いとなりました。

  白 楽 天「仏法とはいったいどのようなものですか」

  鳥窠禅師「諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教」(『七仏通戒偈』より)

   (意味)どのような悪いこともしてはならない、
      できる限り善いことをするように心がけよ、
      そうすればおのずと心が浄められていくのだ。
      これが仏たちの教えられていることだ。

  白 楽 天「ただそれだけのことなら、三歳の幼児にでも分かる話じゃありませんか」

  鳥窠禅師「三歳の子供でも口にすることができることが、八十の老人でも実践できんのじゃ」

 

これを聞くと白楽天はすぐに鳥窠禅師の弟子となり坐禅を組まれるようになったのです。

 

『開経偈』「無上甚深微妙法・・・ 」は、「この上ない深くて微妙な仏教の教えを、それに巡り合うことも非常に難しい。それでもいま我々はそれを見聞きできる機会を得た、仏様の教えを深く理解しましょう」と最初に言っていますが、我々はただ声を出して読んでいるだけです。実際は仏様の教えを理解して実行に移しているかは別問題です。ただ、お経を読んでいるだけの人が多いのです。いくら有り難い教えを聞いて理解を深めても、それを日常生活において実践しなければ自分の人生にとって何の意味ももたないのです。

 

 三歳でも知っていることが実行できないのは、もともと人間は「怠惰」な面を兼ね備えているからです。「面倒臭い」ことは避けたがります。そして他人よりも「楽」をすると「得」した気分になるのです。

 

 人間は働きたくない(仕事したくない)のが本音だと思いますが、働かなければ収入がないので生活できなくなりますので、働かざるをえないのです。つまりお金が人間を動かしているのです。

 

 仏教の教えは、他人のために何かしてあげる、他人の利益を優先すること。自分は差し置いて他人の利益を優先させることなのです。他人の喜びのために自分が「苦労」する。これが「仏道」の実践です。それで他人が幸せになれば自分も幸せと感じるということなのです。この実践が金銭では得られない、頼りがい・信用・評判・名声になります。これらが「仏教」の求めることのひとつ「徳」となるのです。功徳を積むということなのです。

 

「徳」・・・ 頼りがい、信用、評判、名声がついてきます

「得」・・・ 一時的に得した気分になるだけ。だけれども人間は楽や得を好 むのです。

※「徳」>「得」となります。

 

「苦労」は、自分の頭でわかっていて実践しようと思ってもできません。わかっていても実践に移さなければ理解していないのと同じなのです。「言うは易く行うは難し」なのです。思った時にはすぐに実践に移すことが大切なのです。

 

(注)この文章は聴聞者の一人がお聞きした内容を自身の言葉で表現したものです。